「頼む…。何とかしてくれ…。」
やれやれ。またその話か。薄暗がりからすすり泣きとともに聞こえる声を聞いて、誇り高きイースター・バニーのムラサキ・シキブは身づくろいをしながらため息をついた。
「わが友エドワード。隠者としてすすんで世をしのぶ身となったあなたが、なぜにそこまで自らの肉体に執着するのです?肉体など仮の宿。この世の真理に精通したあなたなら、とっくにご存知だと思っていましたよ。」
そりゃあ、あたしだって自分が茶色い普通の野ウサギだったらと何度も思ったわよ。ムラサキ・シキブはつややかな紫色の毛におおわれた自分の手の甲を見つめながらもう一度ため息をついた。
けれど彼女は忙しかった。毎年、毎年、彼女は子を産み落とした。あれは何年か前の冬のこと。ブリタニアの血気にはやる若者たちが、幸運を呼ぶとうわさされた紫色のウサギたちをこぞって捕獲していた時にも、彼女は穴ぐらで子を産み落とした。誰に教えられたわけでもなく、ウサギたちはこうして命をつないで来たのだ。
「人間などウサギにくらべればはるかに長生きだと言うのに。何を血迷ったか!ちょっと顔がキレイなだけの、あんなはすっぱな魔女のレシピをうのみにするなんて!」
そのとき、地上からもれるひと筋の光のなかに、世をしのぶ男の姿がほの白く浮かび上がった。白骨化しながら生きながらえるその男は、わずかな光源にすらおびえるようにして、さらに部屋の奥へとひっこんでしまった。そしてもはや肉体を持たない彼の体からは、ひゅーひゅーと空気がもれるような嗚咽しか聞こえてこないのであった。
これが「不老不死」にとりつかれた男の末路なのだろうか。ムラサキ・シキブは彼女が寝床にしている暖かな藁のしかれた部屋のすみに身を寄せると、油断なくあたりを見回してから耳を背中にぴったりとつけて眼を閉じた。ムラサキ・シキブはまどろみながら、あの日の出来事を思い出していた。
幼いころ両親に死別し、人一倍「死」に敏感なうえ、病弱でもあったエドワードが、命や若さへの執着を、年を重ねるごとに大きくして行ったのは、よもや自然の成り行きであったかも知れない。やがて寝食を忘れてその研究に没頭するようになった彼の目は落ちくぼみ、柔らかな栗色の髪の毛には白いものが混じるようになった。
あれは忘れもしない、ある嵐の晩のこと。さる高名な魔法使いの弟子だと名乗る、黒いメイジ帽子に黒いぴったりとしたワンピースを身に付けた、やたらに肉感的なブロンドの魔女がたずねて来たのだった。
「あなたがエドワードさまでいらっしゃいます?」
真っ赤な口紅を塗ったぽってりとした唇を、これみよがしに舌でちろちろ舐めなから、若い魔法使いの女は妖艶にほほ笑んだ。いやな女だわ。ムラサキ・シキブはぎろりと女をにらみつけた。女はそんなムラサキ・シキブを意に介した様子もなく、つんとすました様子でエドワードがぎこちなくすすめる椅子に腰を下ろした。エドワードとテーブルをはさんで向かい合うと、女はおもむろに切り出した。
「実は今日はエドワードさまに耳よりなお話を持って来ましたの。」
女はワンピースの胸元からこぼれんばかりの胸をエドワードの鼻先につきつけるようにしてテーブルの上に身を乗り出し、わざとらしく声をひそめて言った。
「不老不死のお薬を研究されているとお聞きしまして…。」
「いやはや…。そ、その通りですが、お恥ずかしいことにまださっぱり糸口が…。その…。つかめないでいるのです。」
エドワードは見るからに落ち着かない様子で、手元にあった台ふきんで額の汗をぬぐっている始末だった。この年になるまでろくに女性と接したこともないエドワードの様子を、ムラサキ・シキブははらはらしながら見守っていた。女はふたたびにっこりとほほ笑むと、信じられないことを口にした。
「ご心配にはおよびませんわ!実は、わたくしその薬のレシピを持っておりますの…。何を隠そうわたくしはもう100年以上生きておりますのよ。自分が一番若く、美しかったあの頃のままで!」
女はエドワードの驚嘆した様子を確認して満足気に頷くと、たたみかけるように歯の浮くような言葉を並べたてた。
「エドワードさまのおうわさはかねてよりお聞きしておりましたのよ…。大変優れた魔術師であり、錬金術師であり、カバラの達人であり…。いいえ、この世のすべてに精通していらっしゃる…。」
女はさらに続けた。
「わたくし…。その…。恥ずかしいのですけれど、ずっとエドワードさまにあこがれていましたのよ。このレシピはわたくしの師である祖母から受け継いだ門外不出のレシピなのですけれど…。こっそりエドワードさまにだけお教えしますわ。そうすればわたくしたち、ずっといっしょにいられますものね?でも…。」
女は上目遣いにエドワードを見つめると、さらに鼻にかかった声でこう付け加えた。
「あいにくただというわけには行きませんのよ…?」
その瞬間のエドワードを値踏みするような女の表情を、ムラサキ・シキブは見逃さなかった。
女は今までのエドワードの蓄えがほぼ、なくなってしまうような法外な値段をふっかけて来たが、ムラサキ・シキブの制止もむなしく、エドワードは顔を真っ赤にしながら、ふるえる手で小切手にサインをしてしまったのだ。
スリスの舌にワイバーンの革。女に言われて一心不乱にエドワードが書き写すその材料は、薬の材料としてはありふれたものだった。
「ブラックロックの粉末。」
えっ?ムラサキ・シキブはその長い耳をそばだたせ、眼を大きく見開いて女を見た。紫色のウサギという類まれな存在ゆえに、人目を避けた生活を送ってはいるが、世の中の事情にそう疎くはないつもりだ。それがどんなに危険なものか、この女はわかっているのだろうか?
一気に話し終えると、女は名残惜しそうなエドワードをふり払うように、そそくさと出口に向かい、一向にやまない嵐のなかをまるで頓着する様子もなく出て行った。ムラサキ・シキブはしばらくの間、その正体を見極めようと後ろ姿を窓から見送っていたが、やがてあきらめてその場を離れた。
ほどなくして部屋の中にはすえたような臭いが充満しはじめた。すさまじい雷鳴があたり一面を白昼のように浮かび上がらせたそのとき、フラスコに入った緑色の液体を、今にものどに流し込もうとするエドワードの姿がムラサキ・シキブの目に入った。えもいわれぬ恐怖を感じてムラサキ・シキブはありったけの声をふりしぼって止めた。
けれど時はすでに遅かった。
閉じた瞼の裏に浮かんだ、あの日の忌まわしい光景をふりはらうように、ムラサキ・シキブは思わず叫んでいた。
「エドワード!わたしは紫色のウサギです。地上に姿を現わせば、たちまち捕まえられてしまうかも知れないのですよ?それはおわかりですね?」
けれど彼女をかくまい、ともに世をしのんでつつましやかながらも楽しい日々をともに過ごした親友から、思いやりに満ちた答えが返って来ることはついぞなかった。
「よろしいでしょう。エドワード。」
意を決したようにムラサキ・シキブは言った。
「わたしが現われたと聞けば、きっと腕に覚えのある者たちが、大挙してこのライキュームにやって来るでしょう。わたしが彼らを誘導します。あとはあなたが彼らに頼んでみることです。」
大丈夫。きっとうまく行くわ。穴に落とせばしめたもの。彼らはきっとエドワードに話しかけてくれるはず。
あなたが「隠者」のエドワードですか?と。
※イースターは復活祭とも言われ、イエス・キリストの復活を祝う日です。
イエス・キリストは、十字架につけられて死んでから、三日目に復活したと言われています。
イースター・エッグはひよこが卵の殻を破って出てくるように、キリストが死という殻を破って
よみがえったことを象徴しています。